Joseph's vision

@josephhvisionが下品な話題を極力控えて出会いやナンパについて140字以内で収まらないネタをつぶやくBlog。

SNS的リテラシー -Joseph's Issues.0005-

今や僕自身にとってもSNSの活用は公私を問わず欠かせなくなっている。
Twitterによる共通する趣向を持つ方々とやFacebookによる旧友との交流と用途は異なるが、その他も含め諸々使い分けながら様々なバックボーンを持つ方々との交流を、片手に納まるスマホで実現出来る。

特にTwitterではnoteで記事を書けば周知も出来て一定数の方々が購入してくださったり、Facebookにしてみれば暫く音信不通だった地元のツレとも再会するきっかけに至ったり、海外インターン時代の現地の友人とも互いの生活振りをシェア出来て、十数年振りに再会しても久々に会った感じさえしない。

そんなFacebookでの旧友との絡みを通して想うことがあった。
彼女は地元の隣町の同い年の友達でバツイチ再婚、前の夫との2人の子供を含め現夫とも2人の子宝にも恵まれた。確か最初の子供は僕らが高校を卒業する翌年だったと記憶している。
離婚や出産は当人達同士で折り合いがついているのなら自由にやれと思うのでその点はどうでも良いが、その彼女のFacebookのフィードと言えば、やたら子供の友達やママ友の悪口だったりで終始している。嫌なことがあった時に気持ちの整理も含めてぼやく程度であれば誰しも経験があるかも知れない。
彼女の場合、子供の友達を名指しで「○○ちゃんがウチに遊びに来るのは良いんだけど、片付けしないしクチの利き方がいちいちムカつく」といった様子で、今や僕らのような遠くに住む間柄であればまだ目を瞑れるとしても身近なヒトが目にしたらマズくないだろうかと感じざるを得ない。おまけに「△△ちゃんは良い子で全然違うのに」とまた別のお気に入りらしき子と比較したりする有り様だ。
終いには「お隣さんの自宅の入り口付近が散らかっていて非常に迷惑している」と散らかりまくったお隣の玄関の画像まで公開する始末。
いかがなものだろうか。

ナンパ師界隈でもTwitterでの即写やハメ撮り動画の拡散が物議を醸すことがあった。
コレと凄く似ていて、このような情報を軽はずみにオンライン上に晒すヒトの神経はやはり疑う。悪気はないのかも知れない。
以前、3歳の我が子に喫煙させる動画をFacebookにアップして逮捕されたバカ親がいたが、そのノリに近いのでは無いだろうか。buzz-netnews.com
「法に触れていなければセーフ」だとか、「見たくないなら見ないという選択肢もあってそこも自己責任」というズレた論点で意見が入ってくるとそのもどかしさは更に増していく。

僕がこのような違和感を初めて抱いたのは、2004年11月にイラクで拘束された日本人男性が現地で斬首されて殺害される一部始終が、ogrishで動画公開されていたのを目にした頃に遡る。
そのショッキングな映像からは、尖ったモノであれば何でもこの身に刺さりそうな気がして怖くなったし、暫くはそのシーンが頭から離れなかった。
そして何より同じ日本人が被害者であることに、他国の被害者のソレとは違う感覚を覚えた。
ただその時も「思ったよりはグロくなかった」と平然としている者や「ナイフ持ってるヤツ血溜まりの上で素足じゃん」とか変なところに着目する者もいて「そういうことじゃないだろう」と強い違和感を感じずにはいられなかった。
何より我が子の死に様をその気になりさえすれば"インターネットで容易に観ることが出来る"この現実そのものが非常に恐ろしかった。

これら大きな話題となったことを抜きにしても、僕ら一般の人々がこのようなサービスを当たり前に利用出来るようになった現状をどのように捉えるべきか、少し考えてみても良いのかも知れない。
ただ、変なヒトや捻くれたヒトはとことん変だし捻くれているのでリテラシーなんて言ったところで「活用の仕方なんて個々の自由だ!」とドヤ顔で言い退けそうだし、Facebookで他人の幸せを面白くないと思う者の中には「Facebookの『いいね』は『どうでもいいね』でしょ?(笑)」なんて言う者まで出て来るので事態を一筋縄に括るのは難しいのかも知れない。

自分大好きで若い頃の感が抜けず自撮りをアップしまくって老化を露呈し続けているオトナや、文面子供有りきのネタなのに親の方がキメ顔で主張してる感じの写真、ほぼ文章じゃんって意味を成さないハッシュタグを含んだ投稿はある意味かわいい。

小説を書きました。純粋なティーンズを描いています。
note.mu